Sample Cafe

過去の記事

'17.10.2 ~ 10.19 なくせじん肺全国キャラバン
-キャラバン神奈川行動・横須賀行動-

  第28回目となるじん肺キャラバンは、10月2日から10月19日までの日程で全国8ブロックでの諸行動が取り組まれました。10月6日には神奈川行動、12日には横須賀行動が行われました。
1 キャラバン神奈川行動-10月6日
 神奈川行動では神奈川労働局並びに神奈川県への要請行動を行いました。
 神奈川労働局には「じん肺・アスベスト被害根絶のために 私たちの提言(全国キャラバン実行委)」から、健康管理手帳の交付問題(一人親方等にも交付)、石綿疾患の対象疾病の拡大(喉頭がんと卵巣がん)を取り上げて話し合いを行いました。さらに、インフルエンザ予防接種等の労災給付の問題、自治体等と協力してアスベスト使用建物のハザードマップの作成についての協議をおこない、トンネルじん肺の関係では「トンネルじん肺救済法」を早期成立させるよう国及びゼネコンに求めるよう要請しました。上記に加えて、横須賀実行委員会は、ネブライザー機器の労災保険給付のほか5点の要請を行いました。労働局としても、インフルエンザ予防接種等の労災給付については必要性を感じるということで、本省に意見具申するということでした。
 神奈川県には、国及びゼネコンに「トンネルじん肺基金」の創設を求めること、アスベスト対策を講じるためにハザードマップを作成すること等を要請しました。ハザードマップの作成については県としては考えていない、また、アスベスト問題については国の動向を注視したい、との回答でした。しかしながら、国は救済法の改訂も行わず、十分な責任をとろうとしていません。神奈川県は、国の動向に左右されることなく、アスベスト問題に積極的に取り組んでほしい、そして、神奈川県が率先してハザードマップを作成するよう、再度要望しました。
2 キャラバン横須賀行動-10月12日
 横須賀市には「アスベスト健康被害の予防と対策の徹底についての要請」(アスベスト飛散防止のための環境条例等をつくること、その他、アスベスト使用の市有施設の除去等の対策についてや学校アスベスト問題等)を行いました。出席の部門並びに団体は、以下の通りです。
・横須賀市:教育委員会、環境政策部、保健所、都市部、水道
・横須賀実行委:じん肺被災者の会、じん肺基金、浦賀分会、横須賀中央診療所、アスベストセンター
 条例に関しては、飛散防止の問題を含んだ条例つくりを策定中で、条例案のパブリックコメントを行っている(10月2日~30日)とのこと。 条例案については、永倉さん(アスベストセンター)から「飛散性アスベストに関する規定が配慮事項になっているが、これは義務事項にすべき」等の具体的な要請が行われ、意見交換しました。 また、環境省の「石綿ばく露者の健康管理に係る試行調査」の実施要請については、さいたま市等の状況を見ていきたいとのことでした。 試行調査ではCT検査も無料で受けられるなど市民にプラスになることなので、積極的に進めてほしいと要望しました。
3 キャラバン横須賀集会-10月12日
 横須賀行動終了後、「なくせじん肺全国キャラバン 横須賀集会」が開催されました(主催:キャラバン横須賀実行委)。 横須賀実行委の構成団体であるじん肺基金の理事長が主催者あいさつをした後、竹井訴訟について古川弁護士から説明をしていただきましたが、竹井訴訟は次回の弁論10月24日に結審することになるだろう、ということでした。 次に、鈴木江郎さん(神奈川労災職業病センター)の「公共建築物等のアスベスト問題」の講演が行われました。神奈川県の県営住宅(吹き付けアスベスト)に居住していて中皮腫に罹患した斉藤さんの被害事例の紹介、NHKクローズアップ現代等のテレビ放送やホットライン等の報告がありました。また、環境省の試行調査等についてもふれられ、横須賀でも行えるように横須賀市に働きかけるよう訴えがありました。
 今年のキャラバン行動の関東ブロックの出陣式は、10月4日に東京で行われ、10月18日に東京に集結し、18日・19日に集結集会や省庁交渉等の東京行動が行われる予定であるとの報告がありました。その後、横須賀実行委の事務局が神奈川行動と横須賀行動の報告を行った後、三浦半島地区労センターからの連帯あいさつと、首都圏建設アスベスト神奈川訴訟の原告からのあいさつ、神奈川土建からもあいさつをいただきました。神奈川訴訟は、第2陣が10月24日に横浜地裁で判決、第1陣が10月27日に東京高裁で判決が出る予定で、勝利判決を勝ち取り、早期全面解決を目指すことを確認しました。
 最後に、追浜浦賀分会が閉会あいさつをし、横須賀実行委からはじん肺とアスベスト被害の根絶等をめざしてさらにキャラバン東京行動に取り組むことが表明され、集会は終了しました。
(じん肺基金事務局 安元)

2017年度 横須賀労働基準監督署交渉

 7月21日(金)14時から、神奈川労災職業病センター、ユニオンヨコスカ、横須賀じん肺被災者の会等が参加し、 横須賀労働基準監督署交渉が行われました。申し入れ事項は、労働安全衛生、労災補償、その他の労働条件など、の3項目。
 労働安全衛生に関する石綿問題では、「2016年の石綿除去工事届出件数(除去された現場の簡単な種類ごとに)」の資料提供を求めました。アスベストのレベル1・2の除去工事の届出件数は21件で、その内訳はビル5件、アパート・マンション2件、学校・幼稚園5件、工場5件、病院・社会福祉施設2件、スーパー・デパート1件、その他1件でした。  「石綿除去工事の現状について」は、届出が出ている工事には監督署として立ち入り調査を行い、特に問題はない、 ということでした。これに対して、「ちゃんと届け出ているところは問題はないだろうが、届け出ないでいい加減な工事をして、 アスベストの飛散事故を起こすというようなことが各地で生じている。これをどう防ぐかが重要な課題」ということを指摘しました。
 労災補償関係では、「2016年の石綿関連疾患の請求、業務上・外各決定及び繰越の件数(新法、業種別、業務上・外についてはその理由、例えば肺がんで石綿小体が少ない、従事期間が短いなど)」の要請事項に対して、以下のように回答がありました。  石綿疾患の業務上・外の件数は、肺がんの請求が8件、業務上が8件、業務外が1件、取下回送が1件、繰越が1件、中皮腫の請求が8件、業務上が10件、業務外が0件、繰越が4件、石綿肺は請求が0、業務上が2件、業務外が1件、でした。  肺がん等の業務外になった理由を聞くと、認定基準(プラークや石綿小体数)ではなく労働者性等の問題で業務外になった、とのことでした。
 「傷病年金の移行」については、「必要に応じて医師の意見を聞き、傷病等級に該当する人は移行する」との回答。「神奈川県内の他署に比べて横須賀署は移行率が少ないので、更に努力してほしい」、「管理区分にこだわらず、重篤なじん肺や中皮腫・肺がんの患者は、すみやかに傷病補償年金に移行すること」を要請しました。  さらに、要請書にはありませんでしたが、ネブライザー機器を労災保険から支給するように、口頭で要請しました。
(じん肺基金事務局 安元)

'16.9.26~10.18  なくせ! じん肺 全国キャラバン

 第27回目となるじん肺キャラバンは、16年9月26日から10月18日までの日程で行動が取り組まれ、10月6日には神奈川行動、7日には横須賀行動が行われました。
  • 1 神奈川行動
  •  10月6日に行われた神奈川行動は、午後1時30分より神奈川労働局へ、午後3時から神奈川県への要請を行いました。神奈川労働局への要請は、「じん肺・アスベスト被害根絶のための提言」をもとに、神奈川県へは、「トンネルじん肺基金」の創設の問題等で要請を行いました。
  • 2 横須賀行動
  •  10月7日(金)の横須賀行動は、午後2時30分から、横須賀市へ「アスベスト健康被害の予防と対策の徹底についての要請」を、要請の内容は、アスベスト飛散防止のための環境条例等をつくること、その他、学校アスベスト問題等について要請しました。
     6時30分から、「なくせじん肺全国キャラバン 横須賀集会」が開催されました。この集会は、講演と、全国キャラバン行動、神奈川行動、横須賀行動の報告、支援団体のあいさつと首都圏建設アスベスト訴訟の原告の訴え、という形で行われました。
     講演は、東京労働安全衛生センターの外山さんが講師で、アスベストの基礎知識的な話から、自治体の取り組み、震災とアスベスト問題等、多岐にわたる話で、非常に有意義な内容でした。

【 じん肺・アスベスト被害ホットライン -電話相談-】

 アスベストは建築材料に使用されてきたことや、あらゆる産業にまたがって使用されてきたことから、 今後もアスベスト被災者が増え続けることが予想されます。 当救済基金では、例年、じん肺・アスベスト被害ホットラインを開催して、 アスベスト被害やじん肺などの健康不安を感じている方々の相談を受けています。

2015年8月 肺がん・アスベスト被害ホットライン(電話相談) 実施
2014年8月 肺がん・アスベスト被害ホットライン(電話相談) 実施
 

'14.8.26 ~ 8.27 肺がん・アスベストホットライン実施 54件の相談

 今年のホットラインは「肺がん・アスベスト(石綿)ホットライン」として8月26~27日の2日間開設しました。合計54件の相談が寄せられました。
 昨年、報道各社に取り上げられなかったのが原因で相談件数ゼロ件であった反省も含め、今回は新聞紙2社に「意見広告」として掲載しました。 予算の関係で全国版対応と東京本社版(東日本のみ)となり、また各社掲載日もスペースの大きさなどで前日から当日と調整されたが、 半五段サイズであったのでインパクトはあったと思います。神奈川のみならず、東京、茨城、山形、大阪、兵庫、佐賀などからの相談が寄せられました。
 相談内容としては建材関係、労災相談などでしたが、中皮腫と思い込んでいて実は胸膜プラークだったり、 40年以上も前の死亡案件でカルテ等が手に入らない、肺ガンでも原因がわからない(鉱物?)など難しい案件があり、 相談対応のあり方も考えさせられました。一方診療所や各地のセンターにつなげた例もあります。医療機関の協力等がとても難しい部分はどうするかが今後の課題です。

【 被 災 者 支 援 活 動 他】

'18.6.28 旧国鉄・JR石綿肺がん訴訟 原告敗訴 控訴審へ

 この訴訟は、国労の現役組合員であった故・竹井豊さんの肺がんが労災か否かで争われたもので、遺族が原告となり国を相手に2016年2月24日に横浜地裁に提訴した裁判です。国労神奈川地区本部、じん肺・アスベスト被災者救済基金等が全面的に支援してきました。
 2018年1月30日に判決を迎えましたが、残念ながら原告敗訴判決となり、現在、東京高裁で原告の勝利を目指して闘われています。
1 提訴に至る経過と裁判の意義
 故・竹井豊さんは、旧国鉄大船工場でレジン制輪子(車輌ブレーキ)を削る作業に8年10ヶ月携わり白石綿にばく露、さらにその後、川崎発電所(旧国鉄・JRに供給するための火力発電所)でボイラー運転手として3年6ヶ月働き、建屋内に積もっていた石綿粉じんにばく露しました。
 竹井さんは2011年8月17日、石綿検診で異常陰影を指摘され8月26日、JR東京総合病院を受診、検査の結果、肺がんと診断されました。その後闘病しましたが2012年12月14日、54歳で死亡しました。
 プラーク所見が確認されなかったため、死後、剖検し、石綿小体が乾燥肺1gあたり1065本出てきたので、川崎南労働基準監督署へ労災申請するも、5000本に満たないとして労災を不支給とされました。以前、石綿肺がんの労災認定基準は10年の石綿ばく露暦+石綿小体(本数の規定はなし)となっていましたが、厚労省はこれを改悪し石綿小体が5000本に満たないと業務外とする認定基準にしました。竹井さんはこの改悪された認定基準によって、業務外とされたのです。竹井さんの訴訟は、個別救済にとどまらず、改悪された認定基準を改めさせることもめざしています。
2 口頭弁論と判決
 竹井訴訟は、2016年2月24日、遺族が労災の不支給処分の取消を求めて提訴、4月14日に行われた第1回目の口頭弁論では、原告である妻の時子さんが意見陳述を行い、その後8回の弁論が行われ、改悪された認定基準は不適切であること、竹井さんの石綿ばく露は10年以上あり肺がんの発症リスクを2倍以上に高める累積石綿ばく露があったこと、等を主張しました。
 そして、2017年10月26日に結審、2018年1月30日に判決が出ました。
 判決はよもやの原告敗訴の不当判決。
 横浜地裁は、現在の認定基準を適切であるとし、そして、石綿ばく露作業に10年以上従事しても肺がんの発症リスクは2倍以上にならないと、原告の主張を否定しました。現在の認定基準は、石綿肺がんの患者を切捨てるもので、被災者団体等からも強く批判されています。これを適切であるとして出された判決を、私たちは認めるわけにはいきません。原告側は、控訴し東京高裁で勝利を勝ち取るために闘っています。
3 控訴審へ
 東京高裁に控訴の手続きを2月13日までに行いました。
 横浜地裁では、古川弁護士が1人で裁判を担当していましたが、控訴審では2人の弁護士を加え、弁護団3人体制で行うことになりました。控訴理由書も弁護団会議で検討し作成、4月4日に提出しました。
 国労神奈川地区本部とじん肺基金で、控訴審をどのように闘うかを話し合い、東京高裁に「控訴審で十分な審理をつくし公正な判決を下すよう」ことを要請することにし、そのための団体署名を集めることを決めました。
 団体署名は、3月から開始し当初の目標の500団体以上をはるかに上回る1248団体の署名が集まりました。5月17日には、原告の竹井さんとともに支援を含めて10名で、東京高裁に署名を持って要請を行いました。
 第1回目の口頭弁論が、6月20日に東京高裁で行われ、原告側は、第1準備書面を提出し、また、6月12日付けで意見書を提出したで名取医師の証人申請を行いました。今後の予定は、原告側は7月30日までに名取意見書をもとにした第2準備書面を提出、9月10日までに国側が、第1準備書面と第2準備書面に対する反論を提出することになりました。そして、第2回目の口頭弁論は9月26日です。
(じん肺基金事務局 安元)

'17.5. ~  アスベストユニオンが住友重機と交渉

 横須賀の住友重機械工業の造船所で、入社以来45年間働き定年後20年たって中皮腫を発症したSさんが、住友との交渉を開始した(第一回交渉:2017年5月24日。第二回交渉:7月5日)。
 1988年、住友を退職した8人が、アスベスト被害について損害賠償裁判裁判を開始。その結果、退職後の補償制度もできた。その後も、約80人もの人たちが裁判や交渉もまじえ補償を勝ち取った。しかし、いまや住友の補償制度の水準では不十分。Sさんの闘いは、この制度を変え、納得のいく補償を勝ち取る闘いでもある。次回の交渉は8月。
                
(アスベストユニオン 早川)
 

'17.5. ~  アスベストユニオンが住友重機と交渉

 横須賀の住友重機械工業の造船所で、入社以来45年間働き定年後20年たって中皮腫を発症したSさんが、住友との交渉を開始した(第一回交渉:2017年5月24日。第二回交渉:7月5日)。
 1988年、住友を退職した8人が、アスベスト被害について損害賠償裁判裁判を開始。その結果、退職後の補償制度もできた。その後も、約80人もの人たちが裁判や交渉もまじえ補償を勝ち取った。しかし、いまや住友の補償制度の水準では不十分。Sさんの闘いは、この制度を変え、納得のいく補償を勝ち取る闘いでもある。次回の交渉は8月。
                
(アスベストユニオン 早川)
 

’17.3.  神奈川行動 建設アスベスト訴訟

 大量に輸入されたアスベストの大半が、建材に使用され、それ故、アスベスト被害(肺がんや中皮腫等)の半数以上が建設労働者に生じています。被害にあった建設労働者が、国と建材メーカーを相手に闘う建設アスベスト訴訟は、東京、神奈川、福岡、大阪、京都、札幌で争われています。
  • 1 建設アスベスト神奈川訴訟
  •  神奈川第一陣訴訟は2008年6月に、第二陣訴訟は2014年5月に横浜地裁に提訴されました。
     神奈川第一陣訴訟は、2012年5月横浜地裁で全面敗訴となり、東京高裁で控訴審として闘われてきました。そして、東京高裁が原告本人尋問を行わず結審するとの方針が出されたのに対して、運動の力で本人尋問が行われることになりました。2016年12月9日・13日に原告本人尋問が行われ、使用建材とばく露実態について、そして、一人親方の就労実態についての証言がされました。
     神奈川第二陣訴訟は、提訴後、順調に弁論が行われ、そして、原告の証人尋問等を積み重ね、国のみならず建材メーカー責任についても法廷で十分な立証が行われ、また、一人親方の就労実態が労働者と変わりないものであることも立証されました。
     第一陣は3月14日、第二陣は3月17日に結審になります。原告勝訴の判決が勝ち取られるために、裁判所に公正な判決を求める運動を展開することが今、求められています。
  • 2 建設アスベスト訴訟の到達点
  •  建設アスベスト訴訟は、東京第一陣訴訟、神奈川第一陣訴訟、福岡訴訟、大阪訴訟、京都訴訟の5つの訴訟の判決が地裁で出ていますが、神奈川第一陣訴訟以外は国に勝訴(アスベストに関する国の規制に遅れがあった)、そして、京都訴訟は建材メーカーにも勝訴、しかし、一人親方についてはいずれも却下されています。
     泉南訴訟で最高裁が国の責任を認めていることを含めて、建設アスベスト訴訟で国に責任があることはゆるがないでしょう。また、京都訴訟の判決により建材メーカーの責任を認める判決を勝ち取る可能性は大きくなりました。後、一人親方等を救済することが大きな課題です。
     神奈川第1陣訴訟は、建設アスベスト訴訟で最初の高裁判決になります。国と建材メーカーに勝ち、一人親方等を救済する判決を勝ち取るべく、私たちもこの裁判を支援して行きたいと思います。
(事務局 安元)
 

'16.12. 故竹井豊さんの肺がん労災不支給裁判の現状

弁護士 古川武志
  • ①竹井豊さんの労災不支給
  •  旧国鉄・JRで働き10年以上石綿粉じんを浴びた故竹井豊さんが肺がんで亡くなったのは約4年前の2012年12月でした。それから私が代理人となって労災請求をしたのですが労基署は平成24年の石綿肺がん認定基準にしたがって、石綿小体が1グラムあたり5000本に満たない、として不支給としたのです。
     平成24年認定基準以前には10年の石綿曝露と数にかかわらずともかく石綿小体が認められれば石綿肺がんと認めることになっていたのですが、国は曝露期間10年の基準を撤廃し1gあたり5000本の要件を代わりに定め、基準を改悪して石綿肺がんの認定数を減らす策にでたのです。しかし1グラムあたり5000本の基準は、本来、アモサイトやクロシドライトといった角閃石系石綿の基準で、竹井さんが吸ってしまったクリソタイルにはあてはまりません。クリソタイルは全ての石綿の9割もの量を占め、したがってクリソタイルに曝露した人の方が圧倒的に多いのですが、この圧倒的に多い人達を救済の範囲外としたのです。
  • ②2016年2月 横浜地裁へ提訴
  •  そこで労災の不支給処分に対してその取消を求める裁判を2016年2月24日に提訴し同年12月20日までに4回の裁判が行われています。厚生労働省は平成24年基準以前も認定基準を実質的に改悪して1g5000本以下の人達の労災を認めない方針を打ち出していて裁判になり、竹井さんの裁判に先行して「5000本基準をクリソタイルに曝露した人にあてはめるのはおかしい」という国側敗訴の判決が数件でています。
     それらの裁判で国側は①クリソタイルの肺がんを発症させる力は角閃石系石綿の10分の1ぐらいの低いものだ、②クリソタイルは角閃石系石綿より何倍かのスピードで肺から消えていく、だから5000本基準はクリソタイルにも使える、と主張したのですが、裁判所はこの理屈を全面的に否定して国側を敗訴させたのです。
  • ③被告の国側はもともな反論できず
  •  竹井さんの裁判では先行する裁判での国側の学者証人の証人尋問調書や論文などの証拠を出して国の認定基準がおかしいことを主張してきましたが、被告の国側はまともな反論ができない状況です。12月20日の4回目の裁判では以前の裁判で証人に出た学者の意見書を出してきましたが、その学者の証人申請をするのかと問うと「その予定はない」とのことで、意見書は出せても法廷には出てこられないという体たらくです。
     今後の展開ですが12月20日に国側に尋ねたところ竹井さんのカルテを分析して石綿が原因ではないという医師か学者の意見書をこれから準備するようですが、おそらくこれも証人申請はしないということになりそうです。とすると以前の同種の裁判では提訴から一審判決まで3年弱程度かかったのですが、それよりも2017年の秋頃には一審判決がでる可能性がでて来ました。
     何としても早期に勝訴判決をとるべく努力しますので今後とも御支援をよろしくお願いします。

アスベストユニオン -全国各地に運動広がる- 

 アスベストユニオンは結成から10年目を迎え、これまでの活動を継続するとともに、首都圏と関西圏以外の全国各地にも運動を広げつつあります。とくにこの1年は、中部地方の会社や労働者の取り組みが進展しました。
  • 1 鉄道車両メーカーでの被害
  •  愛知県内の鉄道車両メーカーで、中学を卒業後2年間だけ働いた労働者が56歳で中皮腫を発症しました。労災認定され、会社からは見舞金が支払われましたが、給付基礎日額が当時の賃金をベースにしているため、発症前の賃金に比べると半分以下に過ぎません。以前弁護士に相談したこともあったそうですが、どうしようもないという対応だったそうです。
     早速アスベストユニオンに加入してもらい、団体交渉が開催されました。会社では多数の被害者が出ており、一定の補償制度があるものの、あまりにも在籍期間が短いこと、65歳以上の定年退職者を想定していることなどから、交渉は難航しました。半年余りの粘り強い交渉の結果解決することができました。残念ながら彼は、解決のわずか1か月後に亡くなられました。それでも解決の報告に訪れたとき、「アスベストユニオンに電話をして本当によかった。私が生きているうちに解決できてよかった」と言ってくださったのです。
     実は彼が相談したきっかけは、ニチアス岐阜羽島工場で働いた山田組合員らの裁判報道でした。ニチアスが誠実に団交に応じないこともあり、労働委員会闘争とあわせて、損害賠償裁判に踏み切ったのですが、和解の動向や判決内容は新聞で大きく報道されました。ニチアスの闘いがあって初めて、他社のアスベスト被害者とつながることができたのです。
  • 2 神奈川の企業での被害相談
  •  神奈川の企業のアスベスト被害相談も継続しています。日産自動車で働き、中皮腫で20年前に亡くなった労働者のご遺族からの相談がありました。時効の問題など難しいこともありましたが、団体交渉で解決することができました。いすゞ自動車の関連企業で働きアスベスト肺癌で療養中の労働者からの相談もありました。これも話し合いで解決することができました。両方のケースともに、仮に訴訟を起こしても困難が予想されました。これまでの運動の力が、会社に解決を決断させたといえます。
     前副委員長の奥松組合員は80歳で昨年5月に亡くなりました。以前に会社と交渉した際には、年齢による減額を会社は主張していたのですが、そうした主張はさせずに、16年2月に円満解決しました。これも運動の力でしょう。
  • 3 他の地域での被害での闘い
  •  他にも、富山県に住む原告の建材製造メーカーである吉野石膏などを相手取る裁判は進行協議が続いています。岡山県でニチアスと下請け築炉メーカーを相手取る裁判は不当判決を跳ね返すべく、控訴審を闘っています。そうした長い闘いを労働組合として、粘り強く続けていく中で、全てのアスベスト被害者の権利向上につなげていきましょう。
    (アスベストユニオン 川本)

国労関連の取り組み - 労災相談も

 旧国鉄・JRにまたがった各地の退職者の石綿健康管理手帳の取り組みは各地に広がってきています。一昨年以降の成果を報告します。
  • 1 石綿健康管理手帳の取得
  •  各地の工場退職者の取り組みは次の通り。
     ○大宮工場退職者-1名取得。申請したらスピード交付という結果に。
     ○長野総合車両所支部(旧長野工場)-今年度はアドバイスしたのみ。しかしアスベスト含有部品扱うことがあり今後も相談継続。
     ○東京総合車両センター(大井工場)-第2陣3名取得(うち1名は昨年取得)。しかし全員運輸機構(旧国鉄)費用負担という結果。
     ○大船工場-今年度は6名取得。手帳取得者数総計51名となりました。
     ○秋田総合車両センター(土崎工場)?2名取得。うち1名はJRの費用負担。
      また再雇用中で他労組から2名手帳取得の相談が寄せられ申請準備中。
     ○旧国鉄・JRにまたがった労働者については、相変わらずJR支社からの誠実な回答はなく、証明拒否(全て旧国鉄へ)もあれば、こちらの申請通りに証明をして来たりと各地での格差が今年も目立ちました。現在は工場をまたがって(転勤して)曝露している退職者もおり、エリアを越えた取り組みが必要になっています。
     *退職者の掘り起こしでは、鉄道退職者の会東京地方連合会のニュースに「アスベスト特集号」を掲載することができました。早速新幹線支部から相談が寄せられ、現在4名が手帳申請準備中です。新幹線にも幅広くアスベストが使われていることがわかりました。
  • 2 労災相談も
  •  また昨年一年の特徴的なことは労災(業務災害)相談も入って来ています。一昨年米子の相談会で寄せられた肺がん死亡事案は、ひょうご安全センターが連携を取り、旧国鉄までの曝露であったことから業務災害認定。現職にも被害が出ているとの話です。また新潟からは国労の元幹部がじん肺死亡だったことがわかり、現在労災申請の準備中です。新潟は車両製作所もあることから被害の掘り起こしも急務です。
     最近も車両の中にアスベスト含有物が発見され、知らずに販売されたというニュースも入って来ています。未だに残されているアスベスト、また職場の環境問題にも取り組んで行きます。

'15.12.12 じん肺被災者の会30周年

1 じん肺被災者の会設立30周年
 1985年11月3日、横須賀じん肺被災者の会が設立されました。現在の正式名称は、「横須賀じん肺被災者・アスベスト被災者の会」ですが、通称として、横須賀じん肺被災者の会としています。被災者の会等の活動について、この紙面で簡単に振り返ってみます。
 じん肺被災者の会が出来る以前、じん肺問題に取り組む関係団体が「じん肺・石綿肺自主健診」を行いじん肺患者を掘り起こし、労災認定を受けたじん肺の要療養者が中心になり患者の会を作ろうと準備を積み重ね、じん肺被災者の会が出来ました。その後、じん肺根絶を目指す運動の一環として、企業の責任を追及する裁判を行おうということで、じん肺被災者の会の会員で、住友重機の造船退職者が原告となり住友を相手に裁判、また、ベース退職者が国を相手に裁判(それぞれ3次訴訟まで)を闘い、それぞれ勝利をかちとってきました。また、ベースの現役労働者の2つの中皮腫訴訟、旧国鉄・JR中皮腫訴訟にも被災者の会として積極的に支援をしました。そして、裁判の支援を軸にして被災者の会の運動が展開されてきました。
 横須賀では、住友訴訟の当該組合の全造船追浜浦賀分会、ベース訴訟の全駐労横須賀支部がじん肺被災者の会とともに全面的に訴訟を支援、また、横須賀地区労・三浦半島地区労も地域共闘で裁判闘争・じん肺アスベストの運動を支えてくれました。
 なくせじん肺全国キャラバンの行動にも取り組み、毎年10月に、横須賀行動(横須賀市への要請、集会等)、神奈川行動(神奈川労働局、神奈川県への要請)を行い、東京の集結行動(省庁交渉や国会請願等)にも参加してきました。
2 定期総会と30周年記念
 2015年12月12日、定期総会と設立30周年記念が、セントラルホテルで開催されました。定期総会は議案の討議を中心に通常通り行われましたが、今回は、30周年ということで総会の最後に6人の人を表彰しました(通常は2人位)。表彰の対象者は、三影理事長(じん肺基金)、野村弁護士(住友訴訟)、古川弁護士(ベース訴訟)、春田所長(中央診療所)、古谷さん(石綿対策全国連)、安元(会の事務局)の6人。
 30周年の懇親会は、会員の他に、関係団体や支援団体含めて約50人で行いました。 労働組合では全造船追浜浦賀分会、全駐労横須賀支部、三浦半島地区労センター、ユニオンヨコスカ、関係団体では神奈川県勤労者医療生協、神奈川労職センター、患者と家族の会(本部と2支部)、じん肺基金等でした。
 スライドショーを見て30年を振り返り、表彰者のスピーチと来賓のあいさつがあり、また、三味線の伴奏と民謡、フラダンス、アコーディオン伴奏と歌ありで、充実した懇親会になりました。
(事務局 安元)

        

国労関連の取り組み - 各地で手帳取得

 国労・JRにまたがった各地の退職者の石綿健康管理手帳の取り組みは、基金ニュース前号でもお知らせしたが、今年度も成果を獲得し、さらに前進しつつある。
  • 1 各地の取り組み
  •  各地の工場退職者の取り組みは次の通り。
     ①大宮工場退職者-4名申請、埼玉労働局は申請してからわずか5日間のスピード交付。
     ②長野総合車両所支部(旧長野工場)退職者-14名申請。長野県初のJR費用負担者  が出る。
     ③大井工場?第2陣3名申請。うち1名交付。
     という結果となった。
     旧国鉄・JRにまたがった労働者については、費用負担がどちらであろうとも手帳に「アスベスト曝露歴」が記入されることを目標としたが、ほぼ全面的に私たちの申請通りとなった。しかし、JRからの誠実な回答はなく、証明拒否(全て旧国鉄へ)やごく一部しか曝露していないという事業主証明だったりと各地での格差が目立った。これでは、手帳取得後も気をつけていないと、病気が発症した場合、労災補償の申請先が「たらい回しになる」という危険性があり未だ課題である。混乱のないように各地で手帳取得報告会を開き、変化があれば相談するという体制作りを取り組んでいくこととなった。
  • 2 手帳取得後のフォローと掘り起こし
  •  手帳取得後のフォローについても、指定医療機関が少なかったり、受け入れの問題などで、自宅から遠い医療機関しかないということも分かった。交通費請求も含めて今後の課題となっている。先行している大船工場退職者では、50名近くの手帳取得者がおり、セカンドオピニオンなど含めてその後のフォロー体制を整えていっている。
     また今年はあらたに仙台総合車両センター、米子地方本部、鉄道退職者会東京地方連合会などまだまだアスベスト被害が埋もれているところからの講師依頼などがあり、掘り起こしを取り組み始めている。
     最大の産業アスベスト被害を出している鉄道事業、国労との協力体制が強まることを今後も期待する。
    (事務局 池田)

'14.10.23 ニチアス事件 奈良地裁で敗訴!

 裁判である限り、勝ち負けは常にある。しかし、この敗訴は全く納得できない!
2014年10月23日、奈良地裁の牧賢二裁判長は、ニチアスで働き、アスベストのため苦しんでいる3人の組合員の訴えを却下する判決を下した。
 その趣旨は、
  •  1.アスベストを使用し、ニチアスが被害を発生させたことは認める。(勝村氏は良性石綿胸水で労災、仲井氏はプラーク)
  •  2.しかし国の規制は昭和三三年以降であり、二人はそれ以前の就労であるから、ニチアスの責任は問えない、従って被害についての程度は判断しない。
  •  3.昭和33年以降に就労している北村氏のプラークは、被害とはいえない。
 というもの。
 そもそもニチアスは、戦前から多くのアスベスト被害を発生させていることを自認しているにもかかわらず、国の規制が全く不十分で遅かったことを理由に、ニチアスを免罪することは、全く理解不能の判断としか言いようがない。そして胸膜のプラークのため、また呼吸困難や肺がん、中皮腫発生への恐れで不安の日々を送っている者に対し、「被害とは言えない」と言い切るのは許せない。
 この日法廷には、多くの傍聴者と報道陣がつめかけた。その期待を裏切る不当判決。原告はただちに控訴することを決めた。次は必ず勝つ。

 

 同じくニチアスとの闘いが続く岐阜地裁では、原告の山田さん、角田さん二人に対する証人尋問が10月27日に行われた。二人とも現在、じん肺管理区分四で労災となっている。  焦点の一つは、定年退職時、じん肺管理区分三(合併症なし)だった角田さんに対して払われた600万円の解決金が、有効かどうかだ。 「これで一切解決」とするニチアス。 
 しかしその後会社の資料から、退職後病状が悪化した場合も、追加で補償していることをうかがわせる記載が明らかになっており、有利な展開になっている。次回の双方の証人尋問をへて、判決は2015年の前半と予定している。

'14.10.21 泉南アスベスト国賠訴訟
   最高裁で勝利!国は謝罪

 戦前から石綿紡織工場の町として知られ、深刻な被害が発生してた泉南地域の人達が原告となり、2006年5月、裁判に立ち上がりました。
 泉南訴訟の第一陣は、大阪地裁で原告側が国に勝訴したものの、大阪高裁では逆転敗訴。高裁判決は、「いのちや健康が産業発展の犠牲になってもやむを得ない」として、被害救済をすべて拒否する法的正義に反する不当判決。「いのちや健康」をないがしろにするおかしな判決は許せない、ということで原告団は最高裁に上告しました。
 第2陣は、大阪地裁で勝利判決を得、また、控訴審でも第一陣の大阪高裁の不当判決をのりこえ13年12月25日に勝訴判決を勝ち取りました。しかし、国が上告したため第2陣も最高裁で争われることになりました。
 2014年7月17日、最高裁は泉南訴訟について上告を受理するとともに、9月4日に口頭弁論を行うことを決定。そして、9月4日に最高裁で行われた口頭弁論では、原告の意見陳述等が行われました。10月9日の最高裁判決は、 第一陣の高裁判決を否定して国の責任を認める原告勝訴の判決が勝ち取られました(但し1971年以降の国の違法を認めず、環境ばく露等の被害は切り捨てるなど問題が残る判決でもありました)。
 原告団・弁護団はこの判決を受けて、一日も早く全面解決するよう国に働きかけた結果、 10月21日、塩崎厚生労働大臣が「国がアスベスト被害防止を怠ったとした最高裁判決をきわめて重く受け止め、心からお詫び申し上げたい」と原告団・弁護団に謝罪しました。
 全面解決に向けて、後一歩です。

'14.10.8 三菱下関造船じん肺アスベスト訴訟 上告

 三菱下関造船じん肺アスベスト訴訟は、三菱重工の下請企業に雇用され下関造船所で働き石綿肺(じん肺)に罹患した労働者四名が原告となり、2008年4月に山口地裁下関支部へ提訴した裁判です。地裁では、 原告はじん肺ではないと敗訴判決となり、原告側が控訴して広島高裁で争われていました。
 2014年9月24日、広島高裁は、一審の不当判決を取り消し三菱重工の加害責任を認め、同社に対し、損害賠償金として総額8030万円の支払いを命じる判決を言い渡しました。
 広島高裁は、証拠を詳細に検討した上で、原告全員のじん肺罹患を認めるとともに、三菱重工の下請労働者に対する安全配慮義務違反を認め、原告ら全員を救済する勝利判決となりました。
 判決当日から原告団は、三菱重工に対し、上告せず早期に解決するように求めてきました。ところが、三菱重工は、原告らの切なる願いを踏みにじり、 10月8日に最高裁に上告しました。4人のうちすでに2人が死亡しています。三菱重工の上告は、「命あるうちの解決を」という原告らのささやかな願いを踏みにじるもので許されません。

'14.9.  住友六次交渉解決

 2013年7月から始まった交渉が、ようやく今年9月で解決した。請求団は、元社員遺族四人(うち2人は他社が最終職場) 下請2人(療養中1名と死亡1名)の6人。
 結論から言うと
  •  1.下請についても正社員並の補償水準
  •  2.住友在職中に労災補償をうけ、退職後に肺がん死亡の方については差額補償
  •  3.住友退職後に他社で働き労災認定された方については、従事歴での案分補償が含まれた納得できる解決だった。
 いずれにしろ、住友で働いたことがはっきりしていれば、下請けの方にも正社員並の補償をさせるというルールが交渉によって確立したことは大きな成果だと考えている。

'14.7. 基地じん肺事件の15年  弁護士 古川武志

  • 1. はじめに
  •  米海軍横須賀基地石綿じん肺第一次訴訟を提起したのは1999(平成11)年7月7日、今から15年前である。 2014(平成26)年10月末日段階で裁判や地位協定18条で賠償を請求した人の合計は76名(退職者74名、現役従業員2名)、 うち1人は裁判途中での裁判取り下げのため、もう1人は時効のため賠償を実現することができなかったが74名の被災者は適正な賠償額を国に支払わせることができた。  本稿ではこの76名の被災者のプロフィルを大まかにまとめてみる。
  • 2. 76名の性別と生年
  •  76名のうち女性は一人あとの75名は男性である。大正生まれが46名、30名が昭和生まれである。大正生まれの方々はほとんどが兵役に就き過酷な体験をした後、昭和21年から昭和25年くらいまでの間つまり20代から30代初めころに基地に就職している。平和な世の中になって働いたのに、なお労働災害に遭うとは誠にやりきれない話である。
  • 3. 76名の石綿疾患
  •  76名のうち64名が管理2以上のじん肺管理区分を取得している。管理四が7名、管理3が6名、管理2が51名である。この64名のうち14名が肺がんに、1名が悪性中皮腫に併せて罹患している。合計15名である。  64名のうち15名ということは約23.5%、4人のうち1人にがんが発生しているのである。著しい高率という他ない。
     76名のうち12名はじん肺管理区分を取得していないが、このうち8名が肺がん、4名が悪性中皮腫、中皮腫4名のうち2名は現役従業員である。
  • 4. 所属職場
  •  76名のうち10名以上が複数の職場に属していたため、合計すると76を超えるが圧倒的にSRFが多い。SRF以外だとPWCが7名、NSD一名、FAY1名、ミルクプラント1名で、SRF所属は74名である。一番多いのがX38Mで11名、次に多いのが意外にもCのつく設計や管理等の仕事をしていた職場で合計10名、X41Bが9名、X17が8名、X41LとX26が6名ずつ、X11とX68が4名ずつ、X31とX71が3名ずつ、そのほか1~2名の職場が7つある。
  • 5.遺族が追加の賠償も
  •   残念なことは管理2合併症で賠償をもらった人が、その後、結局じん肺や肺がんで亡くなり、遺族が追加の賠償を求める例がでていることである。
     そのようなことが、もうありませんように、また新しい被災者ことに現役従業員の被災者が二度と出ませんように、というのが私ののぞみである。

'14.4. 国労の取り組み
   -いまだに残されている車両のアスベスト-

 旧国鉄・JRにまたがった退職者の石綿健康管理手帳の取り組みは基金ニュース前号でもお知らせしたが、今年度は神奈川だけでなく各工場にも運動を広げることができた。
 国労本部との取り組みにより2014年3月に東西ブロックに分けたアスベスト問題の講演がきっかけで、現在大宮工場支部、長野総合車両支部(旧長野工場) 退職者の手帳申請準備をしている。
 大宮工場は長いこと蒸気機関車の修理などが行われ、現在は貨物車両所も併設している。長野工場はJRに使われるブレーキ製造作業 (制輪子、耐摩レジン作成)が行われており、鋳物工場が現存する(鋳物工場はJRでは他に北海道苗穂工場のみ)。現職の粉じん対策も気になるところである。 また廃車解体作業が協力会社ではあるが同じ構内にあり、車両の廃車解体を一手に引き受けている。また1998年には41歳の現職組合員が中皮腫で死亡という事案があり、 今後も被害が予測される。
 各工場の手帳申請準備にあたり、聞き取りをすすめているが、そこからわかることは、車両を改造していること、場所によっては古い車両が残っており、 旧国鉄時代の車両などを含めいまだにアスベスト部品が残されている車両及び電気機関車などが存在して現在も走っているということである。 つまり民営化になってもアスベストは存在している。厚労省も平成25年6月に注意を促すチラシを作成していることからも明らかである。
 いつどこにアスベストが使われ、いつまで使用されていたか、データや作業の記録などを残すために実態調査をすることが緊急課題だ。

'13.9.17 ベース中皮腫訴訟・和解協議、解決へ
   -横浜地裁横須賀支部-

 

  •  1.ベースの現役労働者 吉田耕一さんが悪性胸膜中皮腫で死亡
  •  吉田耕一さんは、1980年4月からベース(米海軍横須賀基地)の艦船修理廠に勤務し、石綿粉じんが舞う艦船のボイラー室やタービン室に立ち入ったりして 石綿粉じんに曝露したため、悪性胸膜中皮腫に罹患しました。吉田さんは、以前から胸部異常陰影を指摘されているということで、 2011年6月に、横須賀中央診療所を受診、その後、胸水がたまり息切れがひどくなるなど急に様態が悪化し横浜南共済病院に入院、 悪性胸膜中皮腫と診断されました。その後、抗がん剤治療などを行いましたが、同年10月に死亡(当時53歳)、診断から4ヶ月弱しかたっていませんでした。
     アスベストが原因の病気なので、全駐労横須賀支部とじん肺基金の協力を得ながら奥さんが労災申請し、2012年1月、労災認定が決定しました。

     

  • 2.吉田耕一さんの遺族が、2012年7月25日に提訴、現在和解協議中
  •  ベースの石綿疾患に関する訴訟はこれまで、ベースの退職者が闘った第1次訴訟・2次訴訟・3次訴訟があり、いずれも勝利的な解決がなされ、2007年5月には今回と同様、現役の労働者の中皮腫訴訟が提訴され、2009年7月に勝利判決が勝ち取られています。今回の提訴は、現役労働者の訴訟としては2番目になります。また、吉田耕一さんの父親の吉田寅蔵さんは、ベース第2次訴訟の原告で、親子2代にわたる石綿健康被害での訴訟ということになりました。吉田寅蔵さんは、横須賀中央診療所に長年通院されている方で、石綿肺・続発性気管支炎の合併症で長年闘病生活をおくっていて、自身も病気に苦しんできましたが、自分の息子が53歳という若さで悪性胸膜中皮腫で亡くなったことについては、非常につらい思いをしたようです。
     吉田耕一さんの遺族3人(奥さんと子ども)は、2012年7月25日、国に6500万円の損害賠償を求める訴えを横浜地裁横須賀支部に起こしました。 裁判は数回の口頭弁論を行った後、裁判所から和解で解決するよう原告・被告双方に働きかけがあり、現在、和解協議中。 2013年6月10日の和解協議では、金額等を含めてほぼ合意に達しましたが、手続き上もう少し時間がかかるということでした。 そして、その後、2回の和解協議が行われ、9月17日に行われた和解協議の話し合いで、次回12月17日に行われる和解協議のときに、和解成立することが決まりました。

'13.8.27 菱倉訴訟・控訴審で和解成立

 菱倉訴訟は、住友重機を相手に、故菱倉康彦さんの奥さん・菱倉節子さんが遺族原告となり闘われてきた裁判です。
  • 1. 提訴にいたる経過
  •  菱倉康彦さんは、長年住友重機で働きアスベストを含む粉じんにばく露、退職後じん肺を発症し、じん肺・続発性気管支炎の合併症で労災認定され、 闘病生活を続けていました。第一次住友訴訟が和解解決する時に、会社と全造船浦賀分会でじん肺の補償制度に関する協定が締結され、その制度に基づき浦賀分会が団体交渉をした結果、 菱倉康彦さんは約300万円の補償を受けました。
     菱倉康彦さんはその後、石綿肺がんにも罹患し死亡、労災の遺族補償を受けたので、遺族の奥さんはアスベストユニオンに加入し肺がん死亡に関する補償を要求することにしました。そして、アスベストユニオンが住友と交渉しましたが、会社は「菱倉康彦は、じん肺罹患に対する会社の補償義務手続きの一切が終了したことを確認し、今後なんらの異議を述べず、また何らの請求をしない」という念書があることを理由に、補償を拒否しました。しかし、念書は「じん肺の罹患」に対するものでしかありませんし、死亡の補償まで含んではいません。また、現在の制度では石綿疾患で死亡した場合、 2000万円が支払われることから考えても、300万円はあまりにも低額な補償です。アスベストユニオンは何度か交渉を行いましたが、決裂。そこで、2010年3月、 菱倉節子さんは横浜地裁横須賀支部に提訴したのです。
  • 2. 2013年2月18日に勝利判決勝ち取る
  • 菱倉訴訟は提訴する時、第3次住友(下請け労働者)訴訟が闘われていたので、この裁判と同時解決をめざしました(第3次訴訟は11年3月に解決)。しかし、住友は裁判でも「念書」をたてにしていっこうに解決しようとせず、裁判が継続され、それも、菱倉康彦さんの職場実態等についても争点にし何人も証人を立てようとするなど、裁判の引き伸ばしをはかりました。何回かの訴訟準備手続きを経て、裁判長が和解勧告を出しましたが、住友はこれを拒否。その結果、12年10月29日に行われた口頭弁論で、裁判長は住友の証人申請を却下し、結審となり、2月18日に判決が言い渡されました。
     判決は、念書の効力を否定し、原告に2750万円支払うことを求め、原告の全面勝利となりました。この判決を受けて、アスベストユニオン等約40人が大崎の住友本社へ行き、控訴せずに早期解決するよう要請しましたが、住友は即日控訴しました。
  • 3.2013年8月27日
  •  住友が控訴したため、東京高裁で争われることになりました。
     2013年5月22日に第一回目の控訴審がありましたが、裁判所は住友が出していた証人申請をすべて却下し、そして結審となり、10月30日を判決日としました。その上で、原告・被告双方に和解で解決するよう促し、和解協議が行われることになりました。5月22日にも、弁論終結後に、別室で和解についての話し合いが行われ、次回日程を6月26日と決めました。その後、6月26日と7月31日に和解協議が行われ、具体的な金額を含めて話し合われましたが、原告側と被告側の間で金額の隔たりが大きくすんなり和解となるか予断を許さない状況でした。しかし、裁判所が強く和解で解決することを住友にせまり、その結果、和解金額が合意に達して、8月27日 に和解が成立しました。 
写真の説明

'08.7.11 第3次住友(下請労働者)アスベスト裁判提訴

 2006年12月、アスベストユニオン(全造船機械アスベスト関連産業分会)は住友重機械に対して、下請労働者を含む元従業員のアスベストや粉じん被害の損害賠償を要求、交渉を続けてきました。しかし、下請労働者に対する損害賠償については元従業員と大きな差別を付けた回答を出してきたため、下請従業員問題は決裂となり、やむを得ず中皮腫やじん肺で死亡した5名の下請労働者の遺族6名が、損害賠償を求める裁判を提訴することになりました。
  裁判は継続中ですが、住友重機械はいたずらに裁判の引き延ばしを図ろうとしており、原告は大きな怒りを持って戦い続けています。

'08.6. 沖縄米海軍アスベスト被災者相談事業を委託
   神奈川労災職業病センターに相談センターを設立

 米海軍横須賀基地のじん肺やアスベスト被害は、第1次から第3次の裁判勝利によって、労災認定され3年以内であれば、 日米地位協定に基づき補償されるルールが作られています。一方、沖縄の米軍基地には、艦船修理はないものの施設等に大量のアスベストが使われており、 十分な対策が行われてこなかったためアスベストの被害が将来にわたって発生する可能性が高いのですが、それを救済につなげる力はまだまだ弱いことがわかりました。 早急にアスベスト被災者の救済体制(専従体制)を確保して、相談や救済につなげる必要があります。
 そこで、じん肺アスベスト被災者救済基金が資金を確保し、神奈川労災職業センターに事業委託し相談センターを設立することにしました。沖縄の被害掘り起こしと救済活動に注目してください。

'08.2.8  アスベスト1日行動

 アスベストユニオン(全造船機械アスベスト関連産業分会)は、2月8日午前9時30分から、 アスベストによる被害者を出しながら交渉に応じなかったり 補償を拒否している企業に対して、抗議要請を行うため1日行動に取り組みました。 近隣に勤務し中皮腫で亡くなった方への補償を拒否している旧 朝日石綿(現エーアンドエーマテリアル)、韓国へアスベスト工場を立ち上げたニチアスに対する公害輸出問題、 石綿肺ガンで療養中の退職者への 補償に関する団交拒否を行っている清水建設、石綿肺ガン死亡者に対する年齢差別を行っている三菱重工、 などに対する行動でした。
 当日は韓国の アスベスト被災者や支援団体の方々も参加されました。

'07.11. アスベスト国際会議 横浜で開催

 1978年11月に結成された「石綿対策全国連絡会議」が20周年を迎えるのを記念して、 職業病から公害へと社会全体の課題へと広がった、アスベスト問題の重要性を国際的に検証し、 「すべてのアスベスト被害者とその家族に対する、公正・公平な補償の実現」を課題に、 地球規模でのアスベスト禁止の実現に向けて、国際連帯の強化・拡大することを目的に、 横浜で国際会議が開催されました。海外ゲスト11名を含み380名を越える多くの人々が参加し、 世界各地の取り組みや研究成果、国内各地の取り組みが報告され、「アスベストの世界的な規模での 全面禁止の早期実現、公正公平な補償の実現」を訴える横浜宣言を採択して終了しました。

'07.10.16 じん肺キャラバン 横須賀行動

 10月1日から始まった2007年じん肺キャラバンは、九州・北海道からスタートし19日東京行動まで続きましたが、神奈川・横須賀における行動は、10月16日に行われ、神奈川県、神奈川労働局、横須賀市役所に対する要請交渉、横須賀集会等を行い、 現在神奈川で中皮腫裁判を行っているご遺族や裁判を準備している原告の方々と懇親し有意義なうちに終了しました。
写真の説明

'07.10. 沖縄で初の日米地位協定に基づく損害賠償

 沖縄の米軍基地の牧港補給廠で働き肺ガンで亡くなった被災者の遺族に対して、 日米地位協定による米軍の不法行為によって被害を受けた方に支払われる補償が、初めて実現しました。 横須賀では米海軍横須賀基地で被災した元従業員に対する日米地位協定に基づく補償は、3回の裁判を勝利判決・和解によって解決後、 すでに実現していました。米軍基地における被害者は今後も続くことが予想されますので、 補償実現のため今後も補償を求める活動を続けていきます。
写真の説明

'07.6.  旧朝日石綿住民被害者の会結成

 横浜市鶴見区の旧朝日石綿横浜工場の周辺でも、地域住民に被害が広がっています。 被災者は「旧朝日石綿被害者の会」を結成し、旧朝日石綿工業を引き継ぐエーアンドエーマテリアル(株)と交渉を行ってきました。 その中で中皮腫で亡くなられた1名の遺族に補償することと、胸膜肥厚斑と診断された住民に健診の都度諸掛り付帯費用として 3万円を支払うと回答しています。しかし中皮腫で亡くなられた他の遺族に対しては、居住地や勤務地が工場から 比較的距離がある(600m)として補償には応じられないと、不当にも補償を拒否しています。
写真の説明

'07.5.9 米海軍横須賀基地現役従業員
   「中皮腫」訴訟を提訴

 米海軍横須賀基地で働いている現役従業員が、2006年1月に胸膜悪性中皮腫を発症し、労災と認められたものの、米軍は認定後も業務上と認めようとせず、私傷病扱いとしてきました。全駐労横須賀支部の団体交渉により業務上の取り扱いになったのが、1年後でした。後に続く同僚や後輩のためにと損害賠償請求を2007年5月9日に横浜地裁横須賀支部に提訴しました。残念なことに本人は第1回公判を見届けることなく、提訴直後の5月19日に亡くなられてしまいました。ご遺族が本人の意志を引き継ぎ裁判が進められています。
写真の説明

'07.3.25 ~ 3.26  シンポジウム
   「アスベスト問題は終わっていない!」

 3月25、26日、東京の神田駿河台で開催された「アスベスト問題は終わっていない!労働者・市民シンポジウム」に参加しました。  クボタ・ショック以来、連日のようにマスコミで取り上げられていたアスベスト問題ですが、安部内閣になってから前内閣で頻繁に行われていた「関係閣僚会合」も行われておりません。  アスベスト被害救済法が施行されて労災補償件数も2~3倍の件数に増加しております。これも、全国的な運動の結果でもあります。  しかしながら、新法の理念であるはずの「隙間なく救済」も、石綿の疾患が対象外にされるなどの問題も起こっているのが現状です。  こういった現状で、全国規模で起こっているアスベスト運動と交流を図り、更なるアスベスト被害者の救済を目指し活動してゆく所存です。皆様どうぞよろしくお願いいたします。
写真の説明

'07.1.29 、'07.3.7
  旧国鉄・JRで「中皮腫」訴訟を提訴

 旧国鉄・JRで働いていた労働者に、アスベスト被害が広がっています。 旧国鉄だけでもでもアスベストによる被災者108名に 業務災害の補償が認定されています。
 こうした中で2007年1月29日に旧国鉄大船工場で働き中皮腫により亡くなられたご遺族、さらに3月27日にはJR新鶴見操車場などで 働き中皮腫に罹患し療養中の方が、相次いで横浜地方裁判所に相次いで補償を求めて提訴されました。 残念なことに療養中の被災者は2008年2月22日に亡くなら れました。
 アスベスト対策を怠ってきた旧国鉄とJRの安全配慮義務違反を問う初めての裁判であり、「アスベストの危険性や、補償・救済の必要」を広く訴えていくものです。  全国各地の車両整備工場や機関区、電車区等で石綿暴露作業に従事した旧国鉄労働者は10万人とも上るといわれていることからすれば、被害の掘り起こしはこれからの大きな課題です。
写真の説明

'07.2.8  事務所を移転

 横須賀市追浜東町から横須賀市米が浜通へ事務所を無事に移転しました。  皆様の支援と、援助により何事もなく終了いたしました。  横須賀中央診療所の脇から入り、3階となります。
 事務所移転の間は、事務関係でもたつくこともあったり、ご迷惑をかけたかもしれませんがご容赦の程、よろしくお願いいたします。  今後、新しい事務所で心機一転、じん肺被害と撲滅に邁進する覚悟でございますので、よりいっそうのご支援、ご尽力を賜るようお願いいたします。
≪新事務所の住所≫
 〒238-0011 神奈川県横須賀市米が浜通1-18-15 オーシャンビル3F
 電話/FAX(046)827-8570

inserted by FC2 system